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絵本 Ingri & Edgar Parin d’Aulaire : POCAHONTAS

2021年05月05日
ドーレア夫妻の作品も初期版は、石版刷りである事が知られていますが、この本もコピーライトに、「Lithograph directly on stone」の文字が書かれています。



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POCAHONTAS : Ingri & Edgar Parin d’Aulaire
著者 Ingri & Edgar Parin d’Aulaire (イギリス民話などから)
1946年
30cm×24cm 40p ¥12,800 + Tax
大航海時代にイギリスに渡ったネイティブアメリカンの娘、ポカホンタスをドーレア夫妻が描いた作品です。
状態 : カバーなし、4角に少し擦れがあり、剥げているヵ所や小さな染みがあります。
イングリ&エドガー・パリン・ドーレア
夫のエドガ-は、1898年9月30日スイスのティチーノ州ブレニオ・カンポ・にイタリアの肖像画家である父とアメリカ人の母の間に(またはドイツのミュンヘンで)生まれる。幼少期はパリ、フィレンツェ、ミュンヘンで育つ。美術学院とミュンヘンのホフマン・スクールで学ぶ。エドガ-は絵描きになりたいと思っていたが、父の考えからミュンヘンの建築の学校へ通うことになる。1年間その学校で自分の進む将来を思い悩みながら学んでいた彼は、その学校を辞めて、挿絵の仕事などで生活費を得ながら、絵の学校に通い始めた。彼が芸術の影響を受けたのは、本コレクターであった父親からであったようで、パリではアンドレ・ロートに、後にガラニの抽象的なグラフィック・アートに影響を受け、フィレンツェではフレスコ画を学んでいたようで、フランス書籍のモダンなイラストレーターや、壁画家、画家などとは、常に交流を持っていたようです。ドイツでは彼がイラストを描いた本が15冊出版されており、パリでも2冊の本が出版されたようです。1925年にイングリと結婚し、1929年にニューヨークに移り住む。妻のイングリは、1904年12月27日ノルウェー(オスロ近くのコングスベルグ)で生まれ。オスロのアート&クラフト・インスティチュートやミュンヘンのホフマン・スクールで学ぶ。イングリはバイキングの血を引く旧家の家に生まれ、幼少の頃から絵が好きで、画家になる事を夢見ていた。15歳のときにノルウェ-の有名な女流画家(Harriet Backer)に絵を見せる機会があり、その素質を彼女に認められ、美術学校に入って本格的に学ぶように進められ、詩人で哲学者でもある叔父の後押しもあり、ミュンヘンの学校に入学した。やがて二人は結婚し、二人の作品を手がけるようになるのだが、初め二人は一緒に仕事をする事をためらっていた。「それぞれの個性に忠実でありたい。」と言うことがその理由であったが、「子供の為にということ」が、二人を思い直させた。石版で印刷されていたその当時の製作作業はかなりの重労働だったらしく、「二人で仕事をする方が都合がよいのです。どちらかが動け無くなっても、どちらかが作業すればいいのですから。」と、彼女は語っている。また、初めのうちは思うようにスケッチや文章も完成出来ずに悩んでいた二人であったが、「やっと私達は、君と僕という考えから抜け出し、二つの頭と四つの手を持つ一体になる事でそれを克服出来た。」と、彼は語っている。二人は多くの作品を残しているが、1931年に「The Magic Rug」を出版、1940年に「リンカーン」でコルデコット賞を受賞している。彼らの子供達の名前は「Per Ola」と「Nils Maarten」であり、1932年に出版された「OLA」と、1948年に出版された「Nils」は、彼らの子供達の名前がタイトルになっていると思われます。エドガーは1986年6月1日に、イングリは1980年10月24日に他界しています。
通信販売もお受けします。
お問い合せ&購入方法は、こちらをご覧ください>>
※掲載した記事や画像の無断使用や無断転載、転売等はご遠慮ください。
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POCAHONTAS : Ingri & Edgar Parin d’Aulaire
著者 Ingri & Edgar Parin d’Aulaire (イギリス民話などから)
1946年
30cm×24cm 40p ¥12,800 + Tax
大航海時代にイギリスに渡ったネイティブアメリカンの娘、ポカホンタスをドーレア夫妻が描いた作品です。
状態 : カバーなし、4角に少し擦れがあり、剥げているヵ所や小さな染みがあります。
イングリ&エドガー・パリン・ドーレア
夫のエドガ-は、1898年9月30日スイスのティチーノ州ブレニオ・カンポ・にイタリアの肖像画家である父とアメリカ人の母の間に(またはドイツのミュンヘンで)生まれる。幼少期はパリ、フィレンツェ、ミュンヘンで育つ。美術学院とミュンヘンのホフマン・スクールで学ぶ。エドガ-は絵描きになりたいと思っていたが、父の考えからミュンヘンの建築の学校へ通うことになる。1年間その学校で自分の進む将来を思い悩みながら学んでいた彼は、その学校を辞めて、挿絵の仕事などで生活費を得ながら、絵の学校に通い始めた。彼が芸術の影響を受けたのは、本コレクターであった父親からであったようで、パリではアンドレ・ロートに、後にガラニの抽象的なグラフィック・アートに影響を受け、フィレンツェではフレスコ画を学んでいたようで、フランス書籍のモダンなイラストレーターや、壁画家、画家などとは、常に交流を持っていたようです。ドイツでは彼がイラストを描いた本が15冊出版されており、パリでも2冊の本が出版されたようです。1925年にイングリと結婚し、1929年にニューヨークに移り住む。妻のイングリは、1904年12月27日ノルウェー(オスロ近くのコングスベルグ)で生まれ。オスロのアート&クラフト・インスティチュートやミュンヘンのホフマン・スクールで学ぶ。イングリはバイキングの血を引く旧家の家に生まれ、幼少の頃から絵が好きで、画家になる事を夢見ていた。15歳のときにノルウェ-の有名な女流画家(Harriet Backer)に絵を見せる機会があり、その素質を彼女に認められ、美術学校に入って本格的に学ぶように進められ、詩人で哲学者でもある叔父の後押しもあり、ミュンヘンの学校に入学した。やがて二人は結婚し、二人の作品を手がけるようになるのだが、初め二人は一緒に仕事をする事をためらっていた。「それぞれの個性に忠実でありたい。」と言うことがその理由であったが、「子供の為にということ」が、二人を思い直させた。石版で印刷されていたその当時の製作作業はかなりの重労働だったらしく、「二人で仕事をする方が都合がよいのです。どちらかが動け無くなっても、どちらかが作業すればいいのですから。」と、彼女は語っている。また、初めのうちは思うようにスケッチや文章も完成出来ずに悩んでいた二人であったが、「やっと私達は、君と僕という考えから抜け出し、二つの頭と四つの手を持つ一体になる事でそれを克服出来た。」と、彼は語っている。二人は多くの作品を残しているが、1931年に「The Magic Rug」を出版、1940年に「リンカーン」でコルデコット賞を受賞している。彼らの子供達の名前は「Per Ola」と「Nils Maarten」であり、1932年に出版された「OLA」と、1948年に出版された「Nils」は、彼らの子供達の名前がタイトルになっていると思われます。エドガーは1986年6月1日に、イングリは1980年10月24日に他界しています。
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